再受験して医学部に行こう、医者になろう、と決めた時、私の中で国公立の医学部に行くという選択肢しかありませんでした。
私自身が国立の総合大学経済学部卒だったこともあり、同じ大学の医学部に行けたら良いなって。
あと、親の価値観がそのまま子供に植え付けられることがあると思うんですけど、まさにそれです。
私の父が私大にあまり良い顔をする人ではないのです。
「同じ内容を国立なら安く勉強できる、それなら国立が良いだろう」
という考えの人なのです。
なので私もそう考えていました。
結果的には、私が今年私大医学部に入学する許可を出してくれたので、頭ごなしにダメという人ではなかったんですが。
そんなこんなでずーっと国公立の大学のみを受験し続けてきました。
でも再受験を始めて数年経ち、「今年は行けるかもしれない!いや行けるぞ!」とイケイケだった年があります。
学力が伸びている実感があって、頭がとても冴えているというか、そんな年があったんです。
しかしその年のセンター試験で、マーク模試やセンターパックの点数よりも100点以上も低い点数を取ってしまったのです。
もうね、泣きました。終わった…もう終わりだ…と1.2日は呆然としていたと思います。
正直に言って、センター試験(共通テスト)を失敗すると、今の国公立大学の医学部では、ほぼ逆転できません。
2次試験で○割取れば受かる!といっても、計算上は確かにそうだけど…。
そんなに甘い世界でないということは、何年も再受験をして痛感しています。
そんな時、知り合いが「○○大学は私大だけど学費がタダだよ。」と教えてくれました。
このブログを読んでくださる方には、○○と濁す意味がない気もしますが笑
一応濁してみました。
少し調べたらわかるんですけど、その大学は、再受験には割と厳しいんです。
人数制限があったりして、そりゃ厳しくもなるよなぁ、という感じ。
都道府県ごとに2.3人しか取らないので、現役と再受験で同じ点数なら前者を取るよね、と文句はありません。
しかし私は、元々ポジティブ人間で、楽観的なものの見方をするタイプなので、
「え!?そんなところがあるの?!え!!センター試験後でも出願できるじゃん!!受ける!!!」
と速攻で高校に必要書類をお願いし、なんとかギリギリで出願をすることができました。
もう国公立には望みがなかったので、それから試験までの1週間ほどの期間で、過去問をやりまくり傾向を知り、暗記モノの確認をして、いざ本番。
人生で初めての私立大学の受験です。
大学ではないところでの受験も初めてだったので、机や椅子のいつもと違う感じにドキドキしました。
そして今出せる力を全て出して、筆記試験を終えました。
この大学は、次の日にすぐ面接試験があります。
筆記試験合格者のみが面接を受けられるので、筆記試験の結果は、その日のうち、もしくは次の日の朝に発表されます。
試験を終えてホッとする間も無く、すぐに発表がありました。
え…
番号ある…………
驚きました。
この時点ですでに数年再受験をしていた私にとって初めての経験でした。
番号がある!
番号があるって嬉しいんだなぁと興奮した記憶があります。
なんというか、受験に落ちると、自分の人格全てが否定された気持ちになるじゃないですか。
番号があるというだけで、こんなにも心が軽くなるんだと思いました。
数日前にセンター試験を大失敗していたので特にそう感じました。
そしていよいよ面接です。
面接が大得意の姉にかなり手伝ってもらって、志望動機やら、よくある質問の答えを用意しました。
面接については他の記事で改めて詳しく書きたいと思います。
ところで私は文系学部だったので、就職活動を普通にしました。内定ももらっていました。
マスコミに興味があったので、テレビ局を何社か受けたのですが、某テレビ○京さんの試験では第5試験(呼び方忘れました)くらいまで行き、あとちょっとというところまで行ったことがあります。
何が言いたいかというと、面接は割と得意だということです。
人当たりが良いというか、外面が良いというか。
見た目は冷たいとか怖いと言われるんですけど、中身は人懐っこく、ちゃんと会話のできるタイプの人なので、マイナスイメージからの上がり幅が大きいのだと思います。
再受験に厳しいと言われているこの大学でも、面接官が全員笑ってくれましたし、何度も私の話に納得してくれました。
幸いなことに筆記試験、面接試験をクリアし、2次試験へと向かうことができました。
面接試験の合格発表でも、私の番号があるのを確認できたときは、とても嬉しかったです。
いまだに当時の受験番号を覚えているくらいです。
2次試験の内容は個人面接、集団討論、小論文でした。
個人面接は年齢など突っ込んだことも聞かれましたが、そんなに答えにくいことは聞かれず、「受かったら寮生活だけど頑張ってね」と言われた記憶があります。
あと、「受かったら、入学までの間にやりたいことはありますか?」と聞かれ、
「物理化学を選択しているので、生物を勉強していません。生物の勉強をしたいと思います。」
と答えました。
そしてなんと私は今、その状況(受かって入学までの期間)にあります。
もちろん生物の本は買ってきました。やる気もあります。
だけど、もう3月16日です。おかしいな、本はなぜか綺麗なままだな。
毎日忙しいです。頑張ります…。
話を戻します。
個人面接は終始穏やかに進みました。
集団討論は、就活で何度もやってきたことだったので、そんなに苦労はしませんでした。
就活と受験では違うかもしれませんが、特に受験用の対策もせず、普通に他の受験生の方々と会話をした感じです。
集団討論って、周りの人たちによってだいぶ流れが変わるじゃないですか。
この時は、さすが医学部受験生、みなさん賢く、変なことを言う人はいなかったです。
場の空気が読めない人も幸いいなくて、これもまた終始穏やかに討論できました。
私が就活をしていたときの集団討論、結構面白かったので、機会があれば記事にしてみますね。
今もすぐ思い出せるくらいには印象的な出来事が何個もあったので。
そして最後に、小論文。
小論文は、元々文系ですし苦手ではないと思います。文系学部の卒業時には卒業論文も書きました。
しかし、1次試験から2次試験までの間に小論文対策はちゃんとしました。医学系の小論文は初めてだったので、そういう対策です。
試験当日は、課題の文の中に、亡き祖母が患っていた病気と同じ病気の方の話があり、
「おばあちゃんが味方してくれてる…」
と思いながらスラスラ書けました。
私は自他ともに認めるほどおばあちゃんっ子なので、
「ここでおばあちゃん来るか〜」
と試験中に少し泣きそうになりました笑
帰り道。
集団討論でたまたま他にも再受験の方がいると知って、その方とお話しながら帰りました。
お互いの幸運を祈って別れましたが、再受験生が私以外にも頑張っている、と知ることができ、良い機会になったと思います。
2次試験は大学で行われたので、たまたまそこの近くに住んでいた姉の家に泊めさせてもらっていました。
帰りの電車の中で姉と一緒になり(もしかしたら近くまで迎えに来てくれた?忘れちゃいました)、姉に興奮気味に面接の内容や小論文の話をし、
「これで落ちても悔いはないというくらいには、やってこれたと思う」
と報告したことを覚えています。
この姉は、再受験を本当に応援してくれていて、毎年センター試験の前にダンボールで応援グッズを送ってくれていました。
年子なのに、姉は自立していて、私は受験生。
私は姉の子供かな?と思ってしまうくらい甘えさせてくれます。
私の家族は、両親兄弟みんな私の再受験を応援してくれていて、本当に全員に感謝しているので、その辺も記事にしていきたいと思います。
話が逸れましたが。
そんなこんなで、合格発表までは一応国公立の勉強をしましたが、気が気でなく、ほぼ身に入りませんでした。
結果は、補欠合格。
補欠はほぼ回らない大学なので、実質この時点で落ちたも同然なのですが、
ホームページ上の補欠の場所ではありましたが、
番号があったんです。
1次試験の筆記、面接と、そして最後2次試験でも、番号があったんです。
仮にミラクルが起こって合格者が辞退したら、入学しても良いよって大学が言ってくれたんです。
これはね、私の再受験生活を大きく支えた出来事でした。
センター試験に毎年失敗するから戦えない私にとって、医学部の中でも戦える場所がある、ということを教えてくれた出来事でした。
これまでの勉強は無駄だったわけじゃない。
力は付いてたんだ。
と思えました。
結果的に入学はできなかったわけですが、
もう少し頑張ろう、受かるまでやろう、
と気合いを入れ直させてくれた補欠合格でした。
ありがとう、某大学。
おかげで、今年別の大学だけど、医学部受かりました。
初めて補欠合格をもらったときの話を書いてみました。
補欠だったとしても、合格というのは受験生の心を癒す1番の薬だと思います。