おもちの医学部再受験日記〜文系からの挑戦〜

文系からの医学部再受験に成功しました!長かった再受験の日々を忘れないようにこのブログを開設しました。諦めなければ夢は叶う!

年子の姉と、医療的ケア児の甥っ子のこと。

私には、年子の姉がいます。

小さい頃から双子のように育ち、姉妹ともちょっと違う、

親友のような、最強の相棒のような存在の姉です。

姉には持病があるので、発症してからは何があっても私が守るんだという気持ちもあり、

そういう意味では義経と弁慶みたいな感じもあるかもしれません笑笑

 

 

このブログにもちょいちょい登場してきたこの姉ですが、

姉は私の再受験を心からずっと応援してくれていました。

年は1個しか離れていないのに、看護師の姉は会いに行くと必ず奢ってくれたし、

センター試験の前には段ボール箱に応援グッズをたくさん入れて送ってくれたこともありました。

たった1個の歳の差が、再受験中はとても大きく感じていました。

もう一生頭が上がらないです。

 

 

 

私が医学部に受かったのが2021年なので、その2年前、

2019年に姉に子供が生まれました。

可愛い可愛い甥っ子です。

(私には5人の姪甥がいますがこの子が5番目)

 

 

出産時のトラブルで、甥は姉のお腹の中で心停止し、

緊急帝王切開が行われましたが、

結果、重度の脳性麻痺となりました。

姉自身も癒着胎盤により生死を彷徨いました。

出血量が1700mlでした。

 

 

ここで知らない人も多いと思うので、少し。

例えば50kgの人間の血液量は4L弱。

短時間で20%の血液量(約800ml)を失うと出血性ショックに陥り、

30%(約1200ml)が失われると生命の危険が、

50%(約2000ml)が失われると心停止を起こすと言われています。

 

姉は小柄で多分45kgもないので、1700mlの出血がどのくらいヤバかったのか、

想像できるかと思います。

ちなみに正常分娩は500ml未満とされています。(500もすごいけどね・・・母は強し)

 

 

 

でも、当時の私は1700ml出血した、と聞いても、ピンと来ませんでした。

いくら長年再受験をしていると言っても、当たり前ですが医学的な知識はゼロ。

しかし、その時たまたま一緒にいた、当時医学部5年生だった友達で、普段何事にも動じないタイプの人が、

「え…?大丈夫なの?」

と驚きながら真剣な顔で言ってきて、そこで初めて実感しました。

姉は生死を彷徨ったんだと。

 

姉は里帰り出産ではなく東京で産んだので、

すぐに母が飛行機に乗って病院に向かいました。

遠くにいる家族の誰もが、大変なことになった、と動揺しながらも、必死に冷静を装おうとしていたあの日の雰囲気は、今も鮮明に思い出します。

姉も、意識が遠のくあの感覚はいまだに怖いと言っています。

 

甥はすぐに低体温療法に移り、これ以上のダメージがないように最善は尽くしてもらえたと思いますが、

これは姉のブログからの引用です。

 

 

 

脳のダメージから、自分の意思を示したり、泣いたり、物を飲み込むことができない。自ら身体を動かすこともほぼない。変に力が入って筋肉や関節の拘縮も見られる。

逆に、消化機能はとても良く、母乳やミルクは残すことなく消化できるし、うんちは量も質もとても良い。

そして、何よりお顔がとても可愛い…

 

 

ちょっと最後の一文に私の姉だな、と思わせる楽観主義的な部分が出ちゃっていますが。笑

 

いやあのね、お顔めっちゃ可愛いんですよ。

姉にそっくりでね。最近(3歳)はパパにも似てきてイケメンさを増してきたし、

めちゃくちゃ可愛い。

 

 

それはそうと、脳のダメージって本当にダイレクトに来るんだなと、素人ながら思いました。

 

私には姉を守る義務があるし、10日後くらいに会いに行きました。

何度でも言いますが、私にとって姉は守る対象なので、生死を彷徨ったと聞いて、

非常に動揺しました。

近くに居られなかった自分を責めたし、医者じゃない自分に無力さも感じました。

姉の旦那さんにはとても可愛がってもらっていて、結婚してからは守る役割は譲っていたので、

あの時姉の近くに居てくれて本当にありがとう、と今でも思っています。

(お前どのポジション?というツッコミは受け付けます(妹であり親友であり、守りたい人なんです))

 

 

 

この姉の出産時のトラブルの経験は、私の人生にとっても、大きなものでした。

 

ダラダラと再受験している場合じゃないわ。

一年でも早く医者にならなくちゃ。

父が亡くなったら身内に医者がいなくなる。

甥っ子や姉はこれからも生き続けるし、それは心許ないはず。

身内に医者がいた方が良い。

と。

 

これがきっかけで、その年と受かった年の2年間は私立医も受けるようにして、

とにかく医者になるんだという気持ちを全面に押し出して行ったのです。

センター試験、共通テストが苦手すぎて、それがなくても行ける私立医を選択肢に入れた、という側面ももちろんあります)

 

 

甥は、気管切開といって、首に管を入れて人工呼吸器で呼吸の管理をしています。

嚥下ができないので、胃瘻といって、胃に直接食事を流し込んでいます。

私は自他ともに認める叔母バカなのですが、姉の子供は全員可愛くて可愛くて仕方なくて。

 

私にできることは何でもしたいと思って、

姉に気切からの痰吸引の方法を教えてもらって、一人でやれるようにしました。

胃瘻から薬を入れるのも、姉の指示がまだ必要ですが、できます。

少しの時間なら、甥と2人でお留守番もできます。

医療的ケア児の存在は知っていても、こうやって身内として接するのは初めてで、

難しく感じることもありますが、可愛い甥っ子のためならなんでもしてあげたい。

今は、姉がいなくても一人で勝手に縦に抱っこしてゼロ距離で甥っ子とイチャイチャすることもできます。

難しいんですよ。人工呼吸器の管や、胃瘻が引っかからないか、首が座っていないので、そこも支えながら抱っこするのって。

でも甥っ子は、自分の意思を示すことはできないと言われていたけど、

頑張って伝えてくれます。

抱っこしたら喜ぶのがわかります。

甥っ子が喜ぶことはなんでもしたい。

今は遠くに住むようになって離れてしまったけど、会えた時は姉の家にたくさん行って交流しています。

 

 

 

私が将来何科に進むかはまだわかりませんが、

家族の病気や状態については常に力になれるように、その勉強は続けていこうと思っています。

大学での勉強も、そろそろ臨床のようになってきて、

2年生では妊娠について勉強する機会がありました。その辺の疾患系も。

 

姉の持病は、医学を勉強する人は必ず勉強するというような難病なので、もちろん私も勉強しました。

医学部の試験は、受験とは違って短期決戦なので、寝られない、みたいなしんどさがあるのですが、

今回はそれに+して、あの日姉に何が起こったのか、甥に何が起こったのか、

それを3年越しに医大生として直面する時間となって、

精神的に少しキツく思う時がありました。

 

過去のことを考えても仕方ない。

普段はそう思って起こったことは全て受け入れて、その後最善を尽くす、という気持ちで生きているので、

嫌でも過去と直面しなきゃいけなかった時間は、自分自身の成長に繋がったと思います。

試験が終わった日、姉に

「〇〇ちゃんが今生きて生活できていること、甥君が生きて今大好きなパパママと過ごせていることに改めて感謝したよ。生きててくれてありがとう!」

とラインしました。ちょっと泣きながら笑

 

妊娠の分野だったから、母にも、

「お母さんが5人も命懸けで出産したことを医学的に実感したよ、産んでくれてありがとう。長生きしてね」

とラインしました。

 

 

 

なんだろ、勉強中は覚えることも多くとにかく必死だったのですが、

試験中、そして終わった後に、感謝したくなりました。

こうやって自分や家族の体に何が起こっているのかを勉強できるのは、幸せなことだと改めて思いました。

再受験で医大生をやっているから余計に感じるのかもしれません。

同期に親に感謝のラインしたと伝えたら、目を丸くして、

「試験勉強に必死すぎてその視点はなかった!私もラインする」

と言っていました。同期素直で可愛い笑

 

 

再受験のブログなので、姉と甥のことを、再受験中と医大生の今思っていることも交えながら語ってみました。

いつか書きたいと思っていた内容だったので、書けてよかったです。

結構泣きそうになりながら書きました笑

最後まで読んでくれてありがとうございました!!

 

 

姉のブログ

www.chamamippi.com

 

 

 

甥っ子と私

 

おわり