長い長い再受験生活の中で、最も迷惑をかけたのが母親だと思います。なぜなら同居しているからです。同居というか、住まわせて頂いているというか…。
私の父も再受験で医者になったのですが、母と付き合っている頃に再受験を決めたので、母は父が医者になる過程を全て一緒に過ごしました。
なので、私が再受験をしたいと言った時も、落ちるなんてことは一切考えず、本当に軽く「がんばれ」と言ってくれた記憶があります。
「お父さんの子だねぇ」という感じで。
まさかその後何年にも渡って落ち続ける娘を見ることになるとは思わなかったと思います。
受験って、それを見守る親も辛いと思うんですよね。頑張ってる姿を見ているから、落ちて落ち込んでいる子供を見るのは誰よりも辛いと思います。
それをこの歳になってまで何年もさせてしまったことは本当に申し訳なく思っています。感謝よりもまずは謝罪です。ごめんなさい。
でもやっぱり感謝が大きいです。
母は、再受験をしている私の気持ちを最大限尊重してくれました。
周りが18.19歳ばかりの中で、1人アラサーの私は、子供扱いされることが1番悔しく、苦しい時期がありました。再受験している間は割とずっとそうでした。
なんていうんでしょう、立場は同じ受験生なんですが、やっぱり高校卒業してすぐの方々は、子供なんですよね。当たり前ですけど。大学を卒業している私が、同じように子供で見られていてはダメでしょう、と思っていました。
そして大手予備校は、結構生徒を子供扱いします。お金を払うのはほとんどの場合親なので、生徒って予備校からしたら顧客じゃないんですよ。そういう態度が職員から結構見え見えなんです。親には良い顔するけど、受験生には妙に強気の職員たち。
ある時、とある特別講座を受講したことがあります。1万円とかするやつですよ。
英作文の添削を個別でしてもらえるということを謳い文句にしていた講座でした。
それなのに私が提出した英作文を職員さんが無くしてしまったのです。時間を計ってその場で書いたものだったので、再現はなかなか難しいものですし、なにより提出期限はとっくに過ぎていました。
職員さん「ははは、ごめん!無くしてしまった…!これ、あげるから許して〜(>_<)」
とその予備校のロゴ入り修正テープを渡してきました。
私「…えーと、これいらないので、受講料返してもらえますか…?」
職員さん「え…。そ、そうだよね、確認してくるね」
確認中
職員さん遠くから大きく手を丸の形にして
「オッケー!返金します!」
なんだかなぁ。
こういう時に修正テープで納得すると思われてるんだなぁ。って悲しくなったのを覚えています。
これはほんの一例ですが、こういうことが日常茶飯事で行われているんです。生徒は顧客じゃないから。
そういうのもあって、子供扱いされることをとても嫌がってきました。
本当の同級生達は社会人として頑張っているので、焦りもあったと思います。
そんな私の主張を母は黙って見守っていてくれました。
親との三者面談なども希望者は出来るのですが、私がいらないと言えば、「わかったよ」と言ってくれました。
とにかくがむしゃらに頑張っていて、周りが見えていないように思えたであろう私を、尊重し続けてくれた母には感謝してもしきれません。
1番近くで見ていたからこそ、口も出したかったと思うし、思うこともたくさんあったと思います。
再受験生活が長くなり、精神的にもボロボロになっていく娘を見るのって、辛いですよね。
それなのに何も言わずにただ毎日美味しいご飯を作ってくれて、私が何か話し出したら聞いてくれて、私に安心できる場所を作ってくれました。
本当にありがとう。
黙って尊重してくれるだけでなくて、私がこれ効いた!という食べ物やサプリ的なものをたくさん買ってきてくれたり、肩こりがひどい私のために湿布を買ってきてくれたり、そういうサポートもたくさんしてくれました。
センター試験の日には、お弁当で白米の上にいろんな言葉を書いて応援してくれました。
1番印象に残っているのは
「えがお」
です。がんばれ、ファイト、とかでなく、笑顔。
素敵な応援の言葉でした。自然と笑顔になり、頑張ろうと思えました。
そして私大に合格して、これで最後の試験だと確定した国公立の2次試験のお弁当にはお手紙が入っていました。
「長年おつかれさま、最後の試験だね、楽しんでね」
と言った内容の手紙を見た時には、なんだかまだ理科の試験だったかな?が残っていたのに、泣きそうになりました。
お母さんのお弁当、本当に美味しくて、最高でした!東京では、これまでたくさんお袋の味を受け継いできたから、それを活かして自炊頑張るね!
これからは私が上京するので、母もやっと受験地獄から解放されます。のんびりと過ごしてほしいです。
父には、医学部の再受験をしたいんだとメールで伝えました。
「そうかい、あんたも医者になりたいのかい」
とどう見ても喜んでくれていそうな返事が来て、すぐに予備校代も振り込んでくれました。
予備校に通い始めて数週間後には父からメールが来ました。(普段父からメールが来ることはない)
「どうだい、少し見えてきたかい。それともまだまだかい。」
「医学部は難しいでしょう。とにかくまずは解法を覚えなさいよ。」
など、アドバイスをくれました。
一年、また一年と年数を重ねてしまう私に、「もうやめなさい」とは最後まで一度も言いませんでした。
それでもやっぱり呆れてるんだろうなぁ…と私は思っていましたが、
「○○にいくらかかるのでお願いします」とメールをすると送ってくれました。
周りには、
「今年も諦めずに続けるって。いやー、大したもんだ」
と言っていた年もあるようです。
今年国公立ではありませんが、私大に合格したことを報告すると、初めは高いからお金払えないよ、と言っていた父も、最終的には、入学を許可してくれました。
「こんなに長くよく頑張ったな」
「いやー、ついに受かったか」
と言われた時には泣きそうになりました。
一緒に住んで、1番近くで見守ってくれた母、
遠くから、お金を出し続けてくれた父(父は単身赴任)。
両親なしに、私の再受験は絶対に成功しませんでした。
これからさらに6年間学生になってしまうので、迷惑かけてしまいますが、立派な医者になって、恩返しします。なので、まだまだ健康に生きてください!
本当にありがとう、お母さん、お父さん。