昨日ついに上京しました。
暑すぎて溶けそうです。
なぜみんなコートを着ているのですか?Tシャツで過ごせるくらいに暑いのに。
今からこんなんじゃ、東京の夏、乗り越えられる気がしません!どうしよう!
住む家は4/1から入居なので、2日間は友人の家にお世話になっているのですが、たまたま一緒のタイミングで上京になった同郷の人なので、2人して暑い暑いって言ってました笑
ゆっくりしたらまたブログたくさん書きたいと思います!
去年(2019年度)、これで最後にしようと本気で挑んだ一年だったのですが、あえなく撃沈。
あー…神様っていないんだな…
努力は報われない
継続は力にならないなり
20代無駄にしたな〜…
こんなことを考えながら、数日ぼーーっと現実から逃げるように過ごしました。
現実逃避をしていても、頭の中には、
「本当にやめるのか?」
「本当に医者になるのを諦めるのか?」
こんな言葉がぐるぐるぐるぐる巡って止みません。
そんな時ふと、とある個人塾のことを思い出しました。
そこは、地元にある唯一の医学部専門の個人塾です。
その塾の存在自体は数年前から知っていたのですが、存在を知った時の私は今思えば人生で1番病んでいました。
塾の最大の売りは少人数制で、先生と生徒の距離が近いこと。また教科によりますが、生徒が黒板に解答を書き、その場で添削、などの指導あり。そしてバンバン当たる。
まさに、学力が伸びること間違いなしの塾です。しかも学費は高くない。
普通医学部専門予備校とか塾って、桁違いに高いじゃないですか。
そこの塾は、高くないんです。むしろ安い。
もっと早くこの塾にお世話になっていたら、もっと早く受かっただろうな、間違いなく。
でも、当時の私の精神状態を考えると、行けなくても仕方なかったな…というくらい、私の心はどん底にいました。
まず人と関わりたくない。
そして人に認識されたくない。
もう私を知ってる人とは誰とも会いたくない。
そんな感じでした。若干鬱傾向にありますよね。今考えると。
何年も医学部受験に挑戦し、何年も落ち続けると、普通の人間ならそうなってしまうかもしれません。
そもそも何年もやる人って自分の周り(親とか親戚)に医者がいる人が多い気がします。再受験でも多浪でも。
周りに医者がいない人は、パッと気持ちを切り替えて他学部に進学したり、社会人に戻ったりする場合が多いかな、という印象です。
だから何年落ち続けても、身近に医者として働いてる人を見てるから、諦めもつかないし、せっかくここまでやったのに…という気持ちが強く出てしまうのだと思います。
その繰り返しで、私の心は真っ黒に染まってしまっていました。(再受験を決めたきっかけがそもそも暗いので余計に…)
しかし、冒頭の通り、今年絶対受かるぞ、と覚悟を決めて挑んだ2019年度。自己採点的にはかなり惜しいところまで行ったのに落ちてしまいました。相当落ち込みましたが、この塾をふと思い出した時に、
「塾長に面談してもらって客観的な意見を聞いてから今後のことは考えよう。」
と素直に思えたのです。
医者になるのをやっぱり諦めたくなかった私は、藁をもすがる気持ちで、塾長にアポを取ったのでした。塾長がホームページの自分の日記的なところで、「何十年もこの世界に関わっているからか、話をしているとその子が受かるかどうかなんとなくわかる」ということを仰っていたのも、直接話をさせてもらいたいと思ったきっかけの一つでした。
「何年もやっててまだ受かってない、才能なし」
と言われれば諦め、
「これならチャンスはある」
と言ってもらえたら泣きのもう一年ということで頑張る、と決めて、去年の3月中旬にお会いしました。
その年の模試の結果を持参し、大学卒後からずーっとやってるということも恥を捨てて伝え、全て包み隠さず話しました。
「うんうん、この成績なら、今年受かってても全然不思議じゃない。諦めるなんて勿体無いです。どうですか、うちで一年やってみませんか。」
あれ?なんか想像してたのと違う…
私受かる可能性あったの…?そんなに医学部が近いところまで来てたの…?あれ?
もちろん生徒集めの常套文句でもあるとは思います。
しかし、長い再受験生活で私は自尊心的なものも、どこかに置いてきてしまったようで、この言葉は心に響きました。
医学部がもう目の前まで来ているのも気が付かず、ずーーーっと遠い、見えない存在だと思い込んでいたんです。
落ち続ける自分なんて、ダメ人間。勉強しかしてないのにその勉強も大して出来ない、ダメな人間だ。
ということを落ちると同時に自分に植え付け続けていました。
でもそれって、例えば80人受かるところを、受験者320人中85位で落ちても、310位で落ちても、結果は
「不合格」
で全く同じ。惜しいとか、そういうのは意味なくて、ただ落ちた、という現実が残るだけだから、仕方ない気もします。
面談も、ものすごく緊張して、呆れられるんだろうな、最悪怒られても仕方ないな、という気持ちで塾長に会いに行った私にとって、あれれ?もしかして認めてもらってる?と思えるような答えが返ってきたのです。
そして、
「そんなに自分をダメだと思ったら、ダメです。自信を持ってください。受かりますよ。絶対受かりますよ。良いですか、自信を無くさないでくださいね。」
とまで言ってくれたのです。
私の心の中が見えているかのように。
私は元々人懐っこい性格で、人前ではヘラヘラ笑ってしまうので、この時も割と恐縮はしながらもニコニコと話してたと思うんですよ。でも見抜かれましたね。
「自信を持ちなさい。」
ということは、たびたび面談をしていただく中で、最後まで言われました。
入塾を決めて、初めての授業の日、塾長から優しく話しかけられました。
「自信持ってやれてるかい?」
「えーと(自信は全然ないな)…やる気だけはあります。」
「やる気があれば大丈夫!良い感じですね。今日から頑張ってね。」
と言ってくれたことは今でもはっきり覚えています。
一年を通して塾長には本当にお世話になりました。
ちょっと不安に思いながら塾に行くと、
「調子はどうだい?」
と声をかけてくれたり、こちらから用事があっていきなり相談をしに行っても、夜中まで話をしてくれたこともありました。
今年の受験校も塾長と相談して一緒に決めました。
偶然なのかわかりませんが、今年受かった某私大の話をした時に、ぼそっと
「ここは(受かる可能性)あるぞ」
と仰っていたことを思い出します。
私は2年しか経験がありませんが、私大医学部の受験は本当に難しいです。
難しさの種類は国公立と違うんですが、とにかく難しい。
私大の医学部だけしか合格したことがないのでアレですが、だからと言って私大の方が簡単、とは言いきれないな、というのが長く受験した印象です。
国公立にも、私立にも、偏差値的な順位ってありますが、アレは本当一応の目安でしかないと思います。
受験生本人がどの科目を得意とするか、どの科目を苦手とするか、受験校がどう言った形式の試験を作るか、そういった要因でその人に合った(受かりやすい)学校って、全然違うんですよね。
もちろん、どの大学にも適応できるように全体的に偏差値70超えを目指していくっていうのは共通してると思いますが、実際受ける大学というのは相性も考えないとダメですね。
そんななか塾長は、私が今年受かったところに関して、
「ここは○○さん、ありえるよ」
と仰ったので、今考えるとなんかすごいな…と思います。国公立に関しては、後日挨拶に伺った際、私が
「共通テストさえ失敗しなければ自己採点的には受かってたと思います。」
と、いうと、即答で
「受かってたと思いますよ。でも○○大に受かってるんだから大したものです。」
と言ってくれました。フォローも忘れない素晴らしい塾長です。笑
その時に、今だから言うけど、と仰ってくださった話があります。
「○○大(受かったところ)の面接練習の時は言わなかったけれども、○○さんは○○大の欲しい学生像とマッチしてるんだよね。性格的に。僕は春からずっと見てきて○○さんのこと知ってるから、そこは確信していました。だから自然体で行った方が受かると思って、所作や答え方に関しては指導しなかったんですよ。」
確かに、オンラインで練習をしていただいた際、すぐにオッケーが出たのは覚えています。ちゃんと面接の準備をして練習に挑んで良かった〜と思っていたのですが、そんな裏があったとは…笑 なんだか恥ずかしいような照れくさいような。
春から○○大の学生となる私ですが、しっかりと勉強し、頑張っていきたいと思います。
それでは長くなりましたが、塾長との出会いのブログ、終わりにしたいと思います!
塾長と出会えて本当に良かった。去年の春、勇気を出して相談に行った自分、えらい!
帰省したらまた、挨拶に伺いたいと思います。
ありがとうございました!
長い長い再受験生活の中で、最も迷惑をかけたのが母親だと思います。なぜなら同居しているからです。同居というか、住まわせて頂いているというか…。
私の父も再受験で医者になったのですが、母と付き合っている頃に再受験を決めたので、母は父が医者になる過程を全て一緒に過ごしました。
なので、私が再受験をしたいと言った時も、落ちるなんてことは一切考えず、本当に軽く「がんばれ」と言ってくれた記憶があります。
「お父さんの子だねぇ」という感じで。
まさかその後何年にも渡って落ち続ける娘を見ることになるとは思わなかったと思います。
受験って、それを見守る親も辛いと思うんですよね。頑張ってる姿を見ているから、落ちて落ち込んでいる子供を見るのは誰よりも辛いと思います。
それをこの歳になってまで何年もさせてしまったことは本当に申し訳なく思っています。感謝よりもまずは謝罪です。ごめんなさい。
でもやっぱり感謝が大きいです。
母は、再受験をしている私の気持ちを最大限尊重してくれました。
周りが18.19歳ばかりの中で、1人アラサーの私は、子供扱いされることが1番悔しく、苦しい時期がありました。再受験している間は割とずっとそうでした。
なんていうんでしょう、立場は同じ受験生なんですが、やっぱり高校卒業してすぐの方々は、子供なんですよね。当たり前ですけど。大学を卒業している私が、同じように子供で見られていてはダメでしょう、と思っていました。
そして大手予備校は、結構生徒を子供扱いします。お金を払うのはほとんどの場合親なので、生徒って予備校からしたら顧客じゃないんですよ。そういう態度が職員から結構見え見えなんです。親には良い顔するけど、受験生には妙に強気の職員たち。
ある時、とある特別講座を受講したことがあります。1万円とかするやつですよ。
英作文の添削を個別でしてもらえるということを謳い文句にしていた講座でした。
それなのに私が提出した英作文を職員さんが無くしてしまったのです。時間を計ってその場で書いたものだったので、再現はなかなか難しいものですし、なにより提出期限はとっくに過ぎていました。
職員さん「ははは、ごめん!無くしてしまった…!これ、あげるから許して〜(>_<)」
とその予備校のロゴ入り修正テープを渡してきました。
私「…えーと、これいらないので、受講料返してもらえますか…?」
職員さん「え…。そ、そうだよね、確認してくるね」
確認中
職員さん遠くから大きく手を丸の形にして
「オッケー!返金します!」
なんだかなぁ。
こういう時に修正テープで納得すると思われてるんだなぁ。って悲しくなったのを覚えています。
これはほんの一例ですが、こういうことが日常茶飯事で行われているんです。生徒は顧客じゃないから。
そういうのもあって、子供扱いされることをとても嫌がってきました。
本当の同級生達は社会人として頑張っているので、焦りもあったと思います。
そんな私の主張を母は黙って見守っていてくれました。
親との三者面談なども希望者は出来るのですが、私がいらないと言えば、「わかったよ」と言ってくれました。
とにかくがむしゃらに頑張っていて、周りが見えていないように思えたであろう私を、尊重し続けてくれた母には感謝してもしきれません。
1番近くで見ていたからこそ、口も出したかったと思うし、思うこともたくさんあったと思います。
再受験生活が長くなり、精神的にもボロボロになっていく娘を見るのって、辛いですよね。
それなのに何も言わずにただ毎日美味しいご飯を作ってくれて、私が何か話し出したら聞いてくれて、私に安心できる場所を作ってくれました。
本当にありがとう。
黙って尊重してくれるだけでなくて、私がこれ効いた!という食べ物やサプリ的なものをたくさん買ってきてくれたり、肩こりがひどい私のために湿布を買ってきてくれたり、そういうサポートもたくさんしてくれました。
センター試験の日には、お弁当で白米の上にいろんな言葉を書いて応援してくれました。
1番印象に残っているのは
「えがお」
です。がんばれ、ファイト、とかでなく、笑顔。
素敵な応援の言葉でした。自然と笑顔になり、頑張ろうと思えました。
そして私大に合格して、これで最後の試験だと確定した国公立の2次試験のお弁当にはお手紙が入っていました。
「長年おつかれさま、最後の試験だね、楽しんでね」
と言った内容の手紙を見た時には、なんだかまだ理科の試験だったかな?が残っていたのに、泣きそうになりました。
お母さんのお弁当、本当に美味しくて、最高でした!東京では、これまでたくさんお袋の味を受け継いできたから、それを活かして自炊頑張るね!
これからは私が上京するので、母もやっと受験地獄から解放されます。のんびりと過ごしてほしいです。
父には、医学部の再受験をしたいんだとメールで伝えました。
「そうかい、あんたも医者になりたいのかい」
とどう見ても喜んでくれていそうな返事が来て、すぐに予備校代も振り込んでくれました。
予備校に通い始めて数週間後には父からメールが来ました。(普段父からメールが来ることはない)
「どうだい、少し見えてきたかい。それともまだまだかい。」
「医学部は難しいでしょう。とにかくまずは解法を覚えなさいよ。」
など、アドバイスをくれました。
一年、また一年と年数を重ねてしまう私に、「もうやめなさい」とは最後まで一度も言いませんでした。
それでもやっぱり呆れてるんだろうなぁ…と私は思っていましたが、
「○○にいくらかかるのでお願いします」とメールをすると送ってくれました。
周りには、
「今年も諦めずに続けるって。いやー、大したもんだ」
と言っていた年もあるようです。
今年国公立ではありませんが、私大に合格したことを報告すると、初めは高いからお金払えないよ、と言っていた父も、最終的には、入学を許可してくれました。
「こんなに長くよく頑張ったな」
「いやー、ついに受かったか」
と言われた時には泣きそうになりました。
一緒に住んで、1番近くで見守ってくれた母、
遠くから、お金を出し続けてくれた父(父は単身赴任)。
両親なしに、私の再受験は絶対に成功しませんでした。
これからさらに6年間学生になってしまうので、迷惑かけてしまいますが、立派な医者になって、恩返しします。なので、まだまだ健康に生きてください!
本当にありがとう、お母さん、お父さん。
私の人生で、勝手に恩師と思っている方が数名いますが、今日は高校時代の部活の顧問であるY先生とのお話をしたいと思います。
私は一見すると生意気に見えるような顔立ちをしているらしく、ヤンチャ風に見てもらえればまだマシで、冷たい子だというような印象を持たれるタイプの子供でした。つり目だし。(本当はめっちゃ優しい)
高校の部活の顧問だったY先生も、初めはそっち寄りの印象を持っていたようです。結構真面目に部活をやっていたので、生意気なことも実際言っていたと思うので…。つり目だし。(本当はめっちゃ優しい笑)
ですが、3年生の時に出場したとある大会でのことです。車椅子に乗った祖母が見にきてくれたのですが、その時、祖母と接する私の姿を見て、こっちが本当の私か!とびっくりし、同時に誤解していたかもしれないな、と思ったそうです。
卒業式の時に手紙をいただき、そう書いてありました。
私はおばあちゃんっ子なので、おばあちゃんには特別超優しかったんですよ。この私も本性ではあると思うので、この姿を見ていただけたのは良かったなと思います。
おかげさまで高校を卒業した後も、Y先生とはよくお会いし、交流を深めていただけました。
しかし、これも私が医学部を再受験するまでの話で、再受験生活に入ってからは、連絡を取るのをやめてしまっていました。再受験しているというのも知らせていませんでした。
そうだったのですが、勝手ながら、数年後、学士編入に挑戦しようというときに、再び連絡を差し上げました。そして、それ以来また交流をしていただいている、ということなのです。
学士編入には、大学生なら大学時代のゼミの教授に、社会人なら上司に、推薦文を書いてもらわなければならない大学が複数あります。私が受験した大学も推薦文が必須でした。
私の大学時代のゼミの教授に連絡をしたところ、当時体調を崩され入院されており、推薦文を書いていただける状態にありませんでした。
ほかのゼミの教授に頼むというのも考えたのですが、私をよく知っている人の方が良いだろうということで、高校時代の恩師に頼むことにしたのです。
理系学部の学生であったならば、どんな分野の研究をしていたのかを熱弁してもらい、だからこの学生は医学部で学ぶにふさわしいです、って推薦文を書いてもらったほうが良いので、ほかの研究室の教授だったとしても、大学の教授に推薦文を頼むべきだと思うのですが、私は文系学部卒で、医学に全く絡みのない分野を研究していたので、「良いや、人間性を見てもらおう」となったわけです。
数年連絡をしていなかったので、そもそも推薦文を頼むのは失礼なんじゃないだろうか、と悩みながら差し上げた私のメールに、数分で返信をくださり、しかもその日のうちに会おうと言ってくださったY先生。本当に頭が上がりません。
医師になるために再受験していて、今年は学士編入に挑戦したいんです、という私の話を真剣に聞いてくれました。
結局学士編入は一度の挑戦で諦め、その後推薦文を頼むということはなかったのですが、再び連絡を取り合えるようになり、何度かご飯に連れて行ってもらいました。
その都度、○○だから頑張れ、大丈夫だよ、とY先生の言葉で激励してくださって、早く合格の報告がしたいなぁと会うたびに思っていました。
そして今年、ついに合格を報告できました。
自分のことのように喜んでくれ、上京する前に絶対に会いましょう、と言ってくれました。
そして今日、コロナ禍なので少しの時間でしたが、お会いできました!
これから上京する私に、先生の大学時代の話をしてくれました。上京して1人で頑張った日々のことを教えてくれ、私もますます東京での生活が楽しみになりました。
そしてこんな私に合格祝いをくださったのです!
Y先生からしたら私なんてたくさんいる教え子の1人に過ぎないと思うのですが、推薦文を書いてくださるだけでなく、誕生日プレゼントを頂いたこともありますし、何から何まで可愛がってくれて…本当に大好きです。
私も早く医者になって高級なお店で先生にお食事をご馳走したいです。まだ6年ありますが、ちょっと待ってていただいて、絶対に実現します。
合格祝いにいただいたものは、6年間東京で大切に使わせていただきたいと思います。本当にありがとうございます。
上京する前に、出来るだけこれまでの予備校のテキストを捨てていこうと思って、整理しています。
いま、再受験を始めた年のテキストが見つかりました。
化学のテキストなのですが、何年前のテキストかを見ずにパラパラと見ていたら、
「ん?なんでこれこんなに基礎的な内容なんだ?」
と思うページがありました。
思わず表紙を見て、あ、コレ再受験始めた年のテキストだ、と気がつきました。
しかも春期講習のテキストなので、正真正銘初めてのテキストです。
当時の私ができなかった問題に×がつけてあり、
そうか、こんなこともわからなかったのか…
と懐かしい気持ちでついつい見入ってしまいました。
当時は自分のレベルを客観的に見ることが出来ていなかったのですが、やる気と気合いと謎の自信だけは誰よりもあったと思います。
どこから来るのその自信、とよく誰にも言われなかったな笑
周りの人の優しさに本当に恵まれていました。
でも、初めはみんな、なにもわからないところから始めますし、こんなものなんでしょうね。
当時は化学なんかは初学だったので、模試を受けても偏差値は余裕で30台とかとっていました。
今年は化学の偏差値はマーク模試でも記述模試でも70はあったので、成長したなぁと思います。
偏差値って、60までは割と簡単に行くんですよ。(それでもめちゃくちゃ勉強しましたが)
60から65、そして70に持っていくのが医学部受験に至っては重要だと思うのですが、私はそこに時間がかかってしまいました。65から70への道が特に。
化学に限っていうと、今年、個人塾に通っていたのですが、そこで化学の先生との出会ったおかげで、偏差値70の壁を突破できました。その先生のことは別にブログに書きたいので、ここではあまり詳しく言わないでおきますが、先生の言う通りに勉強しただけなんです。
相性が良かったんでしょうね。ひたすら先生の言う通りにやっただけで、あんなに苦手だった化学が頭の中で整理されて、苦手、という印象から抜け出せたんです。ダイエットの広告みたいな言い方になっちゃった笑
化学だけでなく、最終的にはどの科目でも偏差値30.40.50のところから、60を超え、さらに65.70へ行くことができました。
私は偏差値が底辺のところから始まった人間なので、今は、例えば成績が伸び悩んでいる方の答案とか見せてもらえれば、ここで躓いてるな、ここがわかってないんだろうな、と客観的に見ることができると思います。
分析とかするのが好きなので、得意分野だと思います。
なので、家庭教師とかあってるんだろうなと思うんですよ。高校は進学校だったこともあり、中学レベルのことは文系大学生だった時でも教えられたので、塾講師の経験も3年あるんですよ。
当時でも指名とかもらっていたので、指導向いてると思うんですよね、性格的に。面接や小論文も得意なので丸ごと見られると思いますし。
これから6年間の学生生活が始まりますし、家庭教師やってみたいな。興味ある方がいらっしゃいましたら、ぜひ!
話が逸れましたが、昔のテキストに懐かしくなり、ついブログを書いてしまいました。明日までにテキストをまとめないといけないので、やばい!!笑
2.3年ほど前に、突然騒がれ始めた医学部の不適切入試のニュース。
医学部再受験生の私からすると、正直、何を今更…?という感想でした。
医学部にコネだのなんなのって、昔から言われてたことで、
そういうことをやってる大学は受験生側から避ける、
というのが常識なのでは…と思っていました。
国公立にしても私立にしても。
どこの大学でも面接を採用し始めたのは、そういうことだと私は認識していました。
これは医学部に限った話ではなく、
世の中はさまざまな点で平等になってきているかもしれないけど、
それでもやっぱりこういった不平等は絶対に無くならないし、
不正をする側の人はどんな手を使っても今後もすると思います。
だけど、この不適切入試の問題が表面化してくれたおかげで、世の中の女性、そして再受験生にとっては、今年、そして今後数年は、チャンスの年と言って良いんじゃないかなーと思います。(と塾長が言っていました)
と思っていたら、某私立大学での、某スポーツ選手の合格の話が飛び込んできました。
あちゃー…
これはちょっと…わかりやすすぎる…
ま、これはなんかね、例外でしょう。気にしない方が良さそうです。定員がそのために1人増えたようだし、気にしても仕方ないと思います。
でもこれは私が今年受かったから思えることで、去年や一昨年にこの件があったら、
私はこの受験界隈の闇に心が折れていたかもしれない。
そういう意味では、やってくれたな、と呆れながら思ってしまいます。
冒頭で医学部受験においては当たり前のことだと言いましたが、
決して、これが良いこと、正しいこと、と思っているわけではありません。
学ぶ場(大学)は誰に対しても平等に開かれているべきだし、それを一言も明記せずに年齢や性別で差をつけるのは、良くないことだと思います。
受験する上でそういう大学は避ける、というのはあくまで再受験生側の戦略であって(戦略というほどのことでもないけど)、差別自体を肯定しているわけではないです。
女医が多いと出産育児で抜けて周りに迷惑になるというなら、
絶対数を増やすべき。
働き方改革も必要。
だって、女性と同じようなレベルで育児をしたい男性医師だっているはずだし、私のように結婚出産願望ゼロの女性が女性というだけで出産するでしょ、いなくなるでしょ、って言われるのも、変な話。
筋力的に男性に対して女性が劣るというなら、そんなことは医者に限った話ではないので、色んな職業で言われなきゃいけないはず。
実際女性と男性は違う生き物だから、どの科でもさらにはどの職業でも、男女で適性が偏る可能性はあるのかな、とは思います。でも男性看護師の存在がありがたいとか、女性医師の存在がありがたいという場面って絶対あると思うし、仕方のない差で喧嘩せず、お互いに尊重し合うべきなんじゃないかなぁと個人的には思います。
尊重し合って生きている人たちも実際多いですしね。
年齢的に再受験は医者でいられる時間が短い、というのは正論のようで…
え、本気で言ってる?寿命って人それぞれなんですけど…医者って定年ないんですけど…
って感じです。
定年がない以上、年齢を理由にするなら寿命の長い女性の方が長く医者をできるから医者になるべきなんじゃないですか?って屁理屈もこねちゃいたくなります笑
色々言ってみましたが、
だからやっぱり、入試は平等であるべきだと思います。
面接も、誰かを引っ張ってあげるためじゃなくて、明らかに適切に思われない方を見極めるためだけに使われるべきだと思います。本来はね。
実際問題、女性は差別されがちな現実がありますので、面接での受け答え方等の記事、今度書きますね。
そんな感じで、受験は平等であってほしい、と思って記事を書いてるわけですが…
上手いなと思った区別の仕方があります。
男性が欲しい某大学では、某科目を必須科目にしているのです。
その科目は女性よりも男性の方が選択者が多いから、その科目を必須科目にしたと。
これはなるほどな、上手いな、と思いました。
ここまで上手くやれば、誰も文句言えない。
その科目が出来るなら女性でも問題なく入れているし、
その大学、結果的には男性の方がかなり多くなっているし、上手いなぁと。
推薦入試での入学者数を増やしているのも、年齢層を下げたい大学側の思惑を感じますが、これは仕方ないかなぁと個人的には思います。
推薦入試の多くは現役生(1浪)が対象なので、多浪や再受験生にとってはますます受かりにくいことになってしまいますが…
まぁでも、一般入試で現役に加点するよりは納得できます。
文章は短めですが、不適切入試について再受験の立場から意見を述べてみました。
とこんな記事を1年半前に書いていたので、修正をちょっと加えて今(2022/09/11)アップし直してみました。あえて消さずに残した部分もあります。
おわり1
ではせっかくなので、恒例の再受験生へのおすすめコーナー(まだ2回目w)
今日はこれです。
これ予備校にいると貰えたりもする本なんですけど、再受験生の情報も普通に載っているので、かなり使わせてもらった一冊です。
全大学分が載っていますし、面接官と受験生の位置関係がどうなっているのか等の情報もあるので、おすすめです。
2023年のものがまだ出てないのか、なかったので、最新のものが出てきたらまた紹介したいと思います。
でも私は2019年?のを最後まで使ったので何年のものでもそんな劣らず使えると思いますよ〜〜
おわり2