おもちの医学部再受験日記〜文系からの挑戦〜

文系からの医学部再受験に成功しました!長かった再受験の日々を忘れないようにこのブログを開設しました。諦めなければ夢は叶う!

親への感謝

長い長い再受験生活の中で、最も迷惑をかけたのが母親だと思います。なぜなら同居しているからです。同居というか、住まわせて頂いているというか…。

 

私の父も再受験で医者になったのですが、母と付き合っている頃に再受験を決めたので、母は父が医者になる過程を全て一緒に過ごしました。

なので、私が再受験をしたいと言った時も、落ちるなんてことは一切考えず、本当に軽く「がんばれ」と言ってくれた記憶があります。

「お父さんの子だねぇ」という感じで。

まさかその後何年にも渡って落ち続ける娘を見ることになるとは思わなかったと思います。

 

受験って、それを見守る親も辛いと思うんですよね。頑張ってる姿を見ているから、落ちて落ち込んでいる子供を見るのは誰よりも辛いと思います。

それをこの歳になってまで何年もさせてしまったことは本当に申し訳なく思っています。感謝よりもまずは謝罪です。ごめんなさい。

 

でもやっぱり感謝が大きいです。

母は、再受験をしている私の気持ちを最大限尊重してくれました。

周りが18.19歳ばかりの中で、1人アラサーの私は、子供扱いされることが1番悔しく、苦しい時期がありました。再受験している間は割とずっとそうでした。

 

なんていうんでしょう、立場は同じ受験生なんですが、やっぱり高校卒業してすぐの方々は、子供なんですよね。当たり前ですけど。大学を卒業している私が、同じように子供で見られていてはダメでしょう、と思っていました。

 

そして大手予備校は、結構生徒を子供扱いします。お金を払うのはほとんどの場合親なので、生徒って予備校からしたら顧客じゃないんですよ。そういう態度が職員から結構見え見えなんです。親には良い顔するけど、受験生には妙に強気の職員たち。

 

ある時、とある特別講座を受講したことがあります。1万円とかするやつですよ。

英作文の添削を個別でしてもらえるということを謳い文句にしていた講座でした。

それなのに私が提出した英作文を職員さんが無くしてしまったのです。時間を計ってその場で書いたものだったので、再現はなかなか難しいものですし、なにより提出期限はとっくに過ぎていました。

 

 

職員さん「ははは、ごめん!無くしてしまった…!これ、あげるから許して〜(>_<)」

 

とその予備校のロゴ入り修正テープを渡してきました。

 

私「…えーと、これいらないので、受講料返してもらえますか…?」

職員さん「え…。そ、そうだよね、確認してくるね」

 

確認中

 

職員さん遠くから大きく手を丸の形にして

「オッケー!返金します!」

 

 

なんだかなぁ。

こういう時に修正テープで納得すると思われてるんだなぁ。って悲しくなったのを覚えています。

 

これはほんの一例ですが、こういうことが日常茶飯事で行われているんです。生徒は顧客じゃないから。

そういうのもあって、子供扱いされることをとても嫌がってきました。

本当の同級生達は社会人として頑張っているので、焦りもあったと思います。

 

そんな私の主張を母は黙って見守っていてくれました。

親との三者面談なども希望者は出来るのですが、私がいらないと言えば、「わかったよ」と言ってくれました。

とにかくがむしゃらに頑張っていて、周りが見えていないように思えたであろう私を、尊重し続けてくれた母には感謝してもしきれません。

1番近くで見ていたからこそ、口も出したかったと思うし、思うこともたくさんあったと思います。

再受験生活が長くなり、精神的にもボロボロになっていく娘を見るのって、辛いですよね。

 

それなのに何も言わずにただ毎日美味しいご飯を作ってくれて、私が何か話し出したら聞いてくれて、私に安心できる場所を作ってくれました。

本当にありがとう。

 

黙って尊重してくれるだけでなくて、私がこれ効いた!という食べ物やサプリ的なものをたくさん買ってきてくれたり、肩こりがひどい私のために湿布を買ってきてくれたり、そういうサポートもたくさんしてくれました。

 

センター試験の日には、お弁当で白米の上にいろんな言葉を書いて応援してくれました。

1番印象に残っているのは

えがお

です。がんばれ、ファイト、とかでなく、笑顔。

素敵な応援の言葉でした。自然と笑顔になり、頑張ろうと思えました。

 

そして私大に合格して、これで最後の試験だと確定した国公立の2次試験のお弁当にはお手紙が入っていました。

「長年おつかれさま、最後の試験だね、楽しんでね」

と言った内容の手紙を見た時には、なんだかまだ理科の試験だったかな?が残っていたのに、泣きそうになりました。

 

お母さんのお弁当、本当に美味しくて、最高でした!東京では、これまでたくさんお袋の味を受け継いできたから、それを活かして自炊頑張るね!

 

 

これからは私が上京するので、母もやっと受験地獄から解放されます。のんびりと過ごしてほしいです。

 

 

 

 

父には、医学部の再受験をしたいんだとメールで伝えました。

 

「そうかい、あんたも医者になりたいのかい」

 

とどう見ても喜んでくれていそうな返事が来て、すぐに予備校代も振り込んでくれました。

 

予備校に通い始めて数週間後には父からメールが来ました。(普段父からメールが来ることはない)

 

「どうだい、少し見えてきたかい。それともまだまだかい。」

「医学部は難しいでしょう。とにかくまずは解法を覚えなさいよ。」

 

など、アドバイスをくれました。

一年、また一年と年数を重ねてしまう私に、「もうやめなさい」とは最後まで一度も言いませんでした。

 

それでもやっぱり呆れてるんだろうなぁ…と私は思っていましたが、

「○○にいくらかかるのでお願いします」とメールをすると送ってくれました。

周りには、

「今年も諦めずに続けるって。いやー、大したもんだ」

と言っていた年もあるようです。

 

今年国公立ではありませんが、私大に合格したことを報告すると、初めは高いからお金払えないよ、と言っていた父も、最終的には、入学を許可してくれました。

 

「こんなに長くよく頑張ったな」

 

「いやー、ついに受かったか」

 

と言われた時には泣きそうになりました。

 

 

一緒に住んで、1番近くで見守ってくれた母、

遠くから、お金を出し続けてくれた父(父は単身赴任)。

両親なしに、私の再受験は絶対に成功しませんでした。

これからさらに6年間学生になってしまうので、迷惑かけてしまいますが、立派な医者になって、恩返しします。なので、まだまだ健康に生きてください!

 

本当にありがとう、お母さん、お父さん。

 

 

 

高校時代の恩師にお会いしてきました。

私の人生で、勝手に恩師と思っている方が数名いますが、今日は高校時代の部活の顧問であるY先生とのお話をしたいと思います。

 

私は一見すると生意気に見えるような顔立ちをしているらしく、ヤンチャ風に見てもらえればまだマシで、冷たい子だというような印象を持たれるタイプの子供でした。つり目だし。(本当はめっちゃ優しい)

 

 

高校の部活の顧問だったY先生も、初めはそっち寄りの印象を持っていたようです。結構真面目に部活をやっていたので、生意気なことも実際言っていたと思うので…。つり目だし。(本当はめっちゃ優しい笑)

 

 

ですが、3年生の時に出場したとある大会でのことです。車椅子に乗った祖母が見にきてくれたのですが、その時、祖母と接する私の姿を見て、こっちが本当の私か!とびっくりし、同時に誤解していたかもしれないな、と思ったそうです。

卒業式の時に手紙をいただき、そう書いてありました。

私はおばあちゃんっ子なので、おばあちゃんには特別超優しかったんですよ。この私も本性ではあると思うので、この姿を見ていただけたのは良かったなと思います。

おかげさまで高校を卒業した後も、Y先生とはよくお会いし、交流を深めていただけました。

 

 

しかし、これも私が医学部を再受験するまでの話で、再受験生活に入ってからは、連絡を取るのをやめてしまっていました。再受験しているというのも知らせていませんでした。

 

 

そうだったのですが、勝手ながら、数年後、学士編入に挑戦しようというときに、再び連絡を差し上げました。そして、それ以来また交流をしていただいている、ということなのです。

 

 

学士編入には、大学生なら大学時代のゼミの教授に、社会人なら上司に、推薦文を書いてもらわなければならない大学が複数あります。私が受験した大学も推薦文が必須でした。

私の大学時代のゼミの教授に連絡をしたところ、当時体調を崩され入院されており、推薦文を書いていただける状態にありませんでした。

ほかのゼミの教授に頼むというのも考えたのですが、私をよく知っている人の方が良いだろうということで、高校時代の恩師に頼むことにしたのです。

理系学部の学生であったならば、どんな分野の研究をしていたのかを熱弁してもらい、だからこの学生は医学部で学ぶにふさわしいです、って推薦文を書いてもらったほうが良いので、ほかの研究室の教授だったとしても、大学の教授に推薦文を頼むべきだと思うのですが、私は文系学部卒で、医学に全く絡みのない分野を研究していたので、「良いや、人間性を見てもらおう」となったわけです。

 

 

数年連絡をしていなかったので、そもそも推薦文を頼むのは失礼なんじゃないだろうか、と悩みながら差し上げた私のメールに、数分で返信をくださり、しかもその日のうちに会おうと言ってくださったY先生。本当に頭が上がりません。

 

医師になるために再受験していて、今年は学士編入に挑戦したいんです、という私の話を真剣に聞いてくれました。

結局学士編入は一度の挑戦で諦め、その後推薦文を頼むということはなかったのですが、再び連絡を取り合えるようになり、何度かご飯に連れて行ってもらいました。

その都度、○○だから頑張れ、大丈夫だよ、とY先生の言葉で激励してくださって、早く合格の報告がしたいなぁと会うたびに思っていました。

 

そして今年、ついに合格を報告できました。

自分のことのように喜んでくれ、上京する前に絶対に会いましょう、と言ってくれました。

そして今日、コロナ禍なので少しの時間でしたが、お会いできました!

これから上京する私に、先生の大学時代の話をしてくれました。上京して1人で頑張った日々のことを教えてくれ、私もますます東京での生活が楽しみになりました。

 

そしてこんな私に合格祝いをくださったのです!

Y先生からしたら私なんてたくさんいる教え子の1人に過ぎないと思うのですが、推薦文を書いてくださるだけでなく、誕生日プレゼントを頂いたこともありますし、何から何まで可愛がってくれて…本当に大好きです。

私も早く医者になって高級なお店で先生にお食事をご馳走したいです。まだ6年ありますが、ちょっと待ってていただいて、絶対に実現します。

 

合格祝いにいただいたものは、6年間東京で大切に使わせていただきたいと思います。本当にありがとうございます。

 

 

再受験を始めた年のテキスト

上京する前に、出来るだけこれまでの予備校のテキストを捨てていこうと思って、整理しています。

 

いま、再受験を始めた年のテキストが見つかりました。

化学のテキストなのですが、何年前のテキストかを見ずにパラパラと見ていたら、

「ん?なんでこれこんなに基礎的な内容なんだ?」

と思うページがありました。

思わず表紙を見て、あ、コレ再受験始めた年のテキストだ、と気がつきました。

しかも春期講習のテキストなので、正真正銘初めてのテキストです。

 

当時の私ができなかった問題に×がつけてあり、

そうか、こんなこともわからなかったのか…

と懐かしい気持ちでついつい見入ってしまいました。

 

 

当時は自分のレベルを客観的に見ることが出来ていなかったのですが、やる気と気合いと謎の自信だけは誰よりもあったと思います。

どこから来るのその自信、とよく誰にも言われなかったな笑

周りの人の優しさに本当に恵まれていました。

 

でも、初めはみんな、なにもわからないところから始めますし、こんなものなんでしょうね。

 

当時は化学なんかは初学だったので、模試を受けても偏差値は余裕で30台とかとっていました。

今年は化学の偏差値はマーク模試でも記述模試でも70はあったので、成長したなぁと思います。

 

偏差値って、60までは割と簡単に行くんですよ。(それでもめちゃくちゃ勉強しましたが)

60から65、そして70に持っていくのが医学部受験に至っては重要だと思うのですが、私はそこに時間がかかってしまいました。65から70への道が特に。

 

化学に限っていうと、今年、個人塾に通っていたのですが、そこで化学の先生との出会ったおかげで、偏差値70の壁を突破できました。その先生のことは別にブログに書きたいので、ここではあまり詳しく言わないでおきますが、先生の言う通りに勉強しただけなんです。

相性が良かったんでしょうね。ひたすら先生の言う通りにやっただけで、あんなに苦手だった化学が頭の中で整理されて、苦手、という印象から抜け出せたんです。ダイエットの広告みたいな言い方になっちゃった笑

 

化学だけでなく、最終的にはどの科目でも偏差値30.40.50のところから、60を超え、さらに65.70へ行くことができました。

私は偏差値が底辺のところから始まった人間なので、今は、例えば成績が伸び悩んでいる方の答案とか見せてもらえれば、ここで躓いてるな、ここがわかってないんだろうな、と客観的に見ることができると思います。

分析とかするのが好きなので、得意分野だと思います。

 

なので、家庭教師とかあってるんだろうなと思うんですよ。高校は進学校だったこともあり、中学レベルのことは文系大学生だった時でも教えられたので、塾講師の経験も3年あるんですよ。

当時でも指名とかもらっていたので、指導向いてると思うんですよね、性格的に。面接や小論文も得意なので丸ごと見られると思いますし。

これから6年間の学生生活が始まりますし、家庭教師やってみたいな。興味ある方がいらっしゃいましたら、ぜひ!

 

話が逸れましたが、昔のテキストに懐かしくなり、ついブログを書いてしまいました。明日までにテキストをまとめないといけないので、やばい!!笑

不適切入試の問題(2022/09/11加筆修正)

2.3年ほど前に、突然騒がれ始めた医学部の不適切入試のニュース。

 

医学部再受験生の私からすると、正直、何を今更…?という感想でした。

医学部にコネだのなんなのって、昔から言われてたことで、

そういうことをやってる大学は受験生側から避ける

というのが常識なのでは…と思っていました。

国公立にしても私立にしても。

どこの大学でも面接を採用し始めたのは、そういうことだと私は認識していました。

 

これは医学部に限った話ではなく、

世の中はさまざまな点で平等になってきているかもしれないけど、

それでもやっぱりこういった不平等は絶対に無くならないし、

不正をする側の人はどんな手を使っても今後もすると思います。

 

 

だけど、この不適切入試の問題が表面化してくれたおかげで、世の中の女性、そして再受験生にとっては、今年、そして今後数年は、チャンスの年と言って良いんじゃないかなーと思います。(と塾長が言っていました)

 

 

 

と思っていたら、某私立大学での、某スポーツ選手の合格の話が飛び込んできました。

 

あちゃー…

 

これはちょっと…わかりやすすぎる…

 

ま、これはなんかね、例外でしょう。気にしない方が良さそうです。定員がそのために1人増えたようだし、気にしても仕方ないと思います。

でもこれは私が今年受かったから思えることで、去年や一昨年にこの件があったら、

私はこの受験界隈の闇に心が折れていたかもしれない。

 

そういう意味では、やってくれたな、と呆れながら思ってしまいます。

 

 

冒頭で医学部受験においては当たり前のことだと言いましたが、

決して、これが良いこと、正しいこと、と思っているわけではありません。

学ぶ場(大学)は誰に対しても平等に開かれているべきだし、それを一言も明記せずに年齢や性別で差をつけるのは、良くないことだと思います。

受験する上でそういう大学は避ける、というのはあくまで再受験生側の戦略であって(戦略というほどのことでもないけど)、差別自体を肯定しているわけではないです。

 

女医が多いと出産育児で抜けて周りに迷惑になるというなら、

絶対数を増やすべき。

働き方改革も必要。

だって、女性と同じようなレベルで育児をしたい男性医師だっているはずだし、私のように結婚出産願望ゼロの女性が女性というだけで出産するでしょ、いなくなるでしょ、って言われるのも、変な話。

 

 

筋力的に男性に対して女性が劣るというなら、そんなことは医者に限った話ではないので、色んな職業で言われなきゃいけないはず。

実際女性と男性は違う生き物だから、どの科でもさらにはどの職業でも、男女で適性が偏る可能性はあるのかな、とは思います。でも男性看護師の存在がありがたいとか、女性医師の存在がありがたいという場面って絶対あると思うし、仕方のない差で喧嘩せず、お互いに尊重し合うべきなんじゃないかなぁと個人的には思います。

尊重し合って生きている人たちも実際多いですしね。

 

年齢的に再受験は医者でいられる時間が短い、というのは正論のようで…

え、本気で言ってる?寿命って人それぞれなんですけど…医者って定年ないんですけど…

って感じです。

定年がない以上、年齢を理由にするなら寿命の長い女性の方が長く医者をできるから医者になるべきなんじゃないですか?って屁理屈もこねちゃいたくなります笑

 

 

色々言ってみましたが、

だからやっぱり、入試は平等であるべきだと思います。

 

 

面接も、誰かを引っ張ってあげるためじゃなくて、明らかに適切に思われない方を見極めるためだけに使われるべきだと思います。本来はね。

実際問題、女性は差別されがちな現実がありますので、面接での受け答え方等の記事、今度書きますね。

 

 

そんな感じで、受験は平等であってほしい、と思って記事を書いてるわけですが…

上手いなと思った区別の仕方があります。

 

男性が欲しい某大学では、某科目を必須科目にしているのです。

その科目は女性よりも男性の方が選択者が多いから、その科目を必須科目にしたと。

これはなるほどな、上手いな、と思いました。

ここまで上手くやれば、誰も文句言えない。

その科目が出来るなら女性でも問題なく入れているし、

その大学、結果的には男性の方がかなり多くなっているし、上手いなぁと。

 

 

推薦入試での入学者数を増やしているのも、年齢層を下げたい大学側の思惑を感じますが、これは仕方ないかなぁと個人的には思います。

推薦入試の多くは現役生(1浪)が対象なので、多浪や再受験生にとってはますます受かりにくいことになってしまいますが…

まぁでも、一般入試で現役に加点するよりは納得できます

 

 

文章は短めですが、不適切入試について再受験の立場から意見を述べてみました。

 

 

とこんな記事を1年半前に書いていたので、修正をちょっと加えて今(2022/09/11)アップし直してみました。あえて消さずに残した部分もあります。

 

 

おわり1

 

 

 

ではせっかくなので、恒例の再受験生へのおすすめコーナー(まだ2回目w)

今日はこれです。

 

 

 

 

これ予備校にいると貰えたりもする本なんですけど、再受験生の情報も普通に載っているので、かなり使わせてもらった一冊です。

全大学分が載っていますし、面接官と受験生の位置関係がどうなっているのか等の情報もあるので、おすすめです。

2023年のものがまだ出てないのか、なかったので、最新のものが出てきたらまた紹介したいと思います。

でも私は2019年?のを最後まで使ったので何年のものでもそんな劣らず使えると思いますよ〜〜

 

おわり2

初めて補欠合格をもらったときの話。

再受験して医学部に行こう、医者になろう、と決めた時、私の中で国公立の医学部に行くという選択肢しかありませんでした。

私自身が国立の総合大学経済学部卒だったこともあり、同じ大学の医学部に行けたら良いなって。

 

あと、親の価値観がそのまま子供に植え付けられることがあると思うんですけど、まさにそれです。

私の父が私大にあまり良い顔をする人ではないのです。

「同じ内容を国立なら安く勉強できる、それなら国立が良いだろう」

という考えの人なのです。

なので私もそう考えていました。

結果的には、私が今年私大医学部に入学する許可を出してくれたので、頭ごなしにダメという人ではなかったんですが。

 

 

そんなこんなでずーっと国公立の大学のみを受験し続けてきました。

でも再受験を始めて数年経ち、「今年は行けるかもしれない!いや行けるぞ!」とイケイケだった年があります。

学力が伸びている実感があって、頭がとても冴えているというか、そんな年があったんです。

しかしその年のセンター試験で、マーク模試やセンターパックの点数よりも100点以上も低い点数を取ってしまったのです。

 

 

 

もうね、泣きました。終わった…もう終わりだ…と1.2日は呆然としていたと思います。

 

 

 

正直に言って、センター試験(共通テスト)を失敗すると、今の国公立大学の医学部では、ほぼ逆転できません。

2次試験で○割取れば受かる!といっても、計算上は確かにそうだけど…。

そんなに甘い世界でないということは、何年も再受験をして痛感しています。

 

 

 

そんな時、知り合いが「○○大学は私大だけど学費がタダだよ。」と教えてくれました。

このブログを読んでくださる方には、○○と濁す意味がない気もしますが笑

一応濁してみました。

 

 

少し調べたらわかるんですけど、その大学は、再受験には割と厳しいんです。

人数制限があったりして、そりゃ厳しくもなるよなぁ、という感じ。

都道府県ごとに2.3人しか取らないので、現役と再受験で同じ点数なら前者を取るよね、と文句はありません。

 

 

しかし私は、元々ポジティブ人間で、楽観的なものの見方をするタイプなので、

 

 

「え!?そんなところがあるの?!え!!センター試験後でも出願できるじゃん!!受ける!!!」

 

 

と速攻で高校に必要書類をお願いし、なんとかギリギリで出願をすることができました。

もう国公立には望みがなかったので、それから試験までの1週間ほどの期間で、過去問をやりまくり傾向を知り、暗記モノの確認をして、いざ本番。

 

 

人生で初めての私立大学の受験です。

大学ではないところでの受験も初めてだったので、机や椅子のいつもと違う感じにドキドキしました。

そして今出せる力を全て出して、筆記試験を終えました。

 

 

 

この大学は、次の日にすぐ面接試験があります。

筆記試験合格者のみが面接を受けられるので、筆記試験の結果は、その日のうち、もしくは次の日の朝に発表されます。

 

 

試験を終えてホッとする間も無く、すぐに発表がありました。

 

 

 

 

 

え…

 

番号ある…………

 

 

 

 

 

 

驚きました。

この時点ですでに数年再受験をしていた私にとって初めての経験でした。

 

 

番号がある!

 

 

番号があるって嬉しいんだなぁと興奮した記憶があります。

なんというか、受験に落ちると、自分の人格全てが否定された気持ちになるじゃないですか。

番号があるというだけで、こんなにも心が軽くなるんだと思いました。

数日前にセンター試験を大失敗していたので特にそう感じました。

 

 

 

そしていよいよ面接です。

面接が大得意の姉にかなり手伝ってもらって、志望動機やら、よくある質問の答えを用意しました。

面接については他の記事で改めて詳しく書きたいと思います。

 

 

 

ところで私は文系学部だったので、就職活動を普通にしました。内定ももらっていました。

マスコミに興味があったので、テレビ局を何社か受けたのですが、某テレビ○京さんの試験では第5試験(呼び方忘れました)くらいまで行き、あとちょっとというところまで行ったことがあります。

何が言いたいかというと、面接は割と得意だということです。

 

 

人当たりが良いというか、外面が良いというか。

 

 

 

見た目は冷たいとか怖いと言われるんですけど、中身は人懐っこく、ちゃんと会話のできるタイプの人なので、マイナスイメージからの上がり幅が大きいのだと思います。

 

 

再受験に厳しいと言われているこの大学でも、面接官が全員笑ってくれましたし、何度も私の話に納得してくれました。

 

 

幸いなことに筆記試験、面接試験をクリアし、2次試験へと向かうことができました。

面接試験の合格発表でも、私の番号があるのを確認できたときは、とても嬉しかったです。

いまだに当時の受験番号を覚えているくらいです。

 

 

 

2次試験の内容は個人面接、集団討論、小論文でした。

個人面接は年齢など突っ込んだことも聞かれましたが、そんなに答えにくいことは聞かれず、「受かったら寮生活だけど頑張ってね」と言われた記憶があります。

 

あと、「受かったら、入学までの間にやりたいことはありますか?」と聞かれ、

 

「物理化学を選択しているので、生物を勉強していません。生物の勉強をしたいと思います。」

 

と答えました。

 

 

 

そしてなんと私は今、その状況(受かって入学までの期間)にあります。

もちろん生物の本は買ってきました。やる気もあります。

だけど、もう3月16日です。おかしいな、本はなぜか綺麗なままだな。

毎日忙しいです。頑張ります…。

 

 

 

話を戻します。

個人面接は終始穏やかに進みました。

集団討論は、就活で何度もやってきたことだったので、そんなに苦労はしませんでした。

就活と受験では違うかもしれませんが、特に受験用の対策もせず、普通に他の受験生の方々と会話をした感じです。

集団討論って、周りの人たちによってだいぶ流れが変わるじゃないですか。

この時は、さすが医学部受験生、みなさん賢く、変なことを言う人はいなかったです。

場の空気が読めない人も幸いいなくて、これもまた終始穏やかに討論できました。

 

 

 

私が就活をしていたときの集団討論、結構面白かったので、機会があれば記事にしてみますね。

今もすぐ思い出せるくらいには印象的な出来事が何個もあったので。

 

 

 

 

そして最後に、小論文。

小論文は、元々文系ですし苦手ではないと思います。文系学部の卒業時には卒業論文も書きました。

しかし、1次試験から2次試験までの間に小論文対策はちゃんとしました。医学系の小論文は初めてだったので、そういう対策です。

試験当日は、課題の文の中に、亡き祖母が患っていた病気と同じ病気の方の話があり、

「おばあちゃんが味方してくれてる…」

と思いながらスラスラ書けました。

 

私は自他ともに認めるほどおばあちゃんっ子なので、

 

「ここでおばあちゃん来るか〜」

 

と試験中に少し泣きそうになりました笑

 

 

 

帰り道。

集団討論でたまたま他にも再受験の方がいると知って、その方とお話しながら帰りました。

 

お互いの幸運を祈って別れましたが、再受験生が私以外にも頑張っている、と知ることができ、良い機会になったと思います。

 

 

2次試験は大学で行われたので、たまたまそこの近くに住んでいた姉の家に泊めさせてもらっていました。

帰りの電車の中で姉と一緒になり(もしかしたら近くまで迎えに来てくれた?忘れちゃいました)、姉に興奮気味に面接の内容や小論文の話をし、

「これで落ちても悔いはないというくらいには、やってこれたと思う」

と報告したことを覚えています。

この姉は、再受験を本当に応援してくれていて、毎年センター試験の前にダンボールで応援グッズを送ってくれていました。

年子なのに、姉は自立していて、私は受験生。

私は姉の子供かな?と思ってしまうくらい甘えさせてくれます。

 

私の家族は、両親兄弟みんな私の再受験を応援してくれていて、本当に全員に感謝しているので、その辺も記事にしていきたいと思います。

 

 

 

話が逸れましたが。

 

そんなこんなで、合格発表までは一応国公立の勉強をしましたが、気が気でなく、ほぼ身に入りませんでした。

 

 

 

結果は、補欠合格。

 

 

 

補欠はほぼ回らない大学なので、実質この時点で落ちたも同然なのですが、

ホームページ上の補欠の場所ではありましたが、

番号があったんです。

 

1次試験の筆記、面接と、そして最後2次試験でも、番号があったんです。

 

 

仮にミラクルが起こって合格者が辞退したら、入学しても良いよって大学が言ってくれたんです。

 

 

 

これはね、私の再受験生活を大きく支えた出来事でした。

 

センター試験に毎年失敗するから戦えない私にとって、医学部の中でも戦える場所がある、ということを教えてくれた出来事でした。

これまでの勉強は無駄だったわけじゃない。

力は付いてたんだ。

と思えました。

 

結果的に入学はできなかったわけですが、

もう少し頑張ろう、受かるまでやろう、

と気合いを入れ直させてくれた補欠合格でした。

 

 

 

ありがとう、某大学。

おかげで、今年別の大学だけど、医学部受かりました。

 

 

初めて補欠合格をもらったときの話を書いてみました。

補欠だったとしても、合格というのは受験生の心を癒す1番の薬だと思います。

 

 

 

受かって初めて知ったこと。

長年再受験をした私ですが、受かったのは今年が初めてです。本格的な私立大学の受験は昨年から始め、昨年は全敗だったので、正真正銘今年が初めての合格でした。(補欠合格の経験は一度あり。)

 

医学部の受験は、国公立に絞る人も多いですから、長年受験していたとしても受かったらその合格が初めて、という人は多い気がします。

 

そうそう、今年通った塾の先生が何度かお話してくれたエピソードなんですけど、昔の教え子に、某国立大学を蹴って翌年某国立大学に受かったという生徒がいる、とおっしゃっていました。

その国立大学間には、確かに偏差値や卒業後の縛りの差などが結構あるので、現役や一浪の方ならばあり得るかもしれない…と思うような思わないような…。

なかなか凄い話ですよね。ちゃんと翌年受かったのが格好良すぎます。

その方は2回合格経験がありますね。(私立を受けていたかは不明ですが)

 

あ、それと私立と国立の併願ならば、国立の結果を待つ前に私立の入学手続きをしなければならないところも多いので、受かった後の流れを経験している人も多いかもしれません。

 

前置きが長くなりましたが、初めて合格を手にした私が、受かって初めて知ったこと。

それは、入学手続きって大変、ということです。

幸せなことですが。

 

現役の時、私は国立大学経済学部のAO入試を受験し、ラッキーなことに受かりました。その時の入学手続きを私がやったのか、母がやってくれたのか、全く覚えていません。覚えていないということは母がやってくれたのかなと思いますが、大変だった記憶があまりないのです。忘れました。

 

それから月日が流れ、今年初めて合格後の流れというものを体験しました。

健康診断やら、入金の手続きやら、やることがたくさんあるなぁ、と毎日バタバタ動き続けました。

受験生の時は365日24時間勉強のことが頭から離れず、大変なストレスを抱えていましたが、これはこれで幸せな忙しさだなと思いながら期日までになんとか終わらせました。

 

今年も国立大学を受験しましたが、ほかに合格を持っているというだけで、いつもよりリラックスして受けられた気がします。結果は別にして。

 

今は引越し先の手続きの真っ最中です。

親族が利用している引越し業者の方にお話したら、ありがたいことに探してくださり、なんとか住むところは決まりそうです。

コロナ禍なので、一人での引っ越し作業になりますが、それもまた、楽しんでやってみようと思っています。

 

 

 

長年の受験生活で溜まりまくったテキスト達を捨てる作業、爽快です。

ありがとう!ばいばい!

と、捨てるもの、売るもの、に分けています。

まだまだこの作業は続きそう…